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347 :一般人風に語る野郎:2007/03/14(水) 19:30:55 ID:0R9fx0Ra
生きる要素は環境と名誉と他人である。しかし人間は名誉を思考し過ぎている。
それは自分を過大評価し、客観的視点を無視して幸福になる仮定を自らの中で創り
上げているからである。これは誰もが持っている感情である。
しかしこの感情の大小には個人によってかなりの差があって、それが対人関係の掌握
などに反映される。名誉が大きい者は当然、人を傷つけることが好きなためあって
嫌われがちなのが実情だ。 自分に自信を持つことは決して悪いことではない。
ただし過信しすぎると自らの欠落にもつながるということだ。
そのような者は日頃から自分への自尊心が大きく、それだけプライドも高い。
ゆえに傷つけられるとそれ以上に傷つける必要があると誤算してしまう。
これが後の人間関係の悪化であり、最終的には「いじめ」などという行為
につながっているのかもしれない。 
つまり、客観的な自尊心というのは我がままという価値観に切り替わる。
自己中心的主義は客観を壊滅させる行為あって弾圧せざるを得ない。おそらく
そのような人間はどこに行っても嫌われているのではないだろうか。
自らを傷つけられるには間違えの有無はあっても原因はあるはずである。
その原因が客観的に賛同されればその行為は第三者からも許容の範囲となる。
ただし賛同されなければ当然自己中心的主義と見なされ弾圧される。
これは客観的な環境づくり、又は生きることへの発展の糸口であり、誰に
とっても必要な共通概念である必要がある。
やはり共通概念、つまり客観に反するものは抑圧されることが分かる。
しかし根本的な知性とプライドを求める人間はここを冷静に対処してくる。
それが主観を過信した者の行為だとすれば第三者はそこでうまく丸めこまれる。
そんな時はこんなことが心理的な概念で分かっている。
  知性を求める者は冷静でいつも地位高く振舞うのだ
  しかしその冷静さは返って自分の感情の傲慢さを象徴しているのであり
  利他主義の人間よりは遥かに愚かである    と
こういった心理的な概念においても主観の過信は弾圧される。
したがって分かることは、主観の過信は人類の感情を揺さぶり起こしていて、
客観を超える者に関しては子供を見るような目で見られるのだ。
主観の過信はどの道自分自身の欠落に繋がるのである。

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