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【あの日の】涙が出るほどいい話【想い出】3.0

1 :ほんわか名無しさん:2007/02/17(土) 16:12:45 0
ここは2ちゃんねるにいる人が泣ける話を投稿していくスレです。
一応スレタイは「いい話」となっていますが、
たまには悲しい話や、嬉しすぎて涙が出てくる話もいいかなぁ〜、なんて思っています。
あと、投稿に遠慮はいらないので、
「泣けないかもしれない」と思っても自分がちょっとでもジーンと来たらぜひぜひ書き込んじゃって下さい( ´ー`)ノ

投稿していただく際はハンドルネームやレス板を名前欄に入れてもらえるとありがたかったり。

穴開き靴下さんが作ってくださったまとめサイト
http://homepage2.nifty.com/ah75/namida.htm

過去スレ
涙が出るほどいい話
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/honobono/1133870188/
涙が出るほどいい話 2ホロリ目
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/honobono/1137492232/
【あの日の】涙が出るほどいい話【想い出】2.5
http://human6.2ch.net/test/read.cgi/honobono/1148988719/

32 :ほんわか名無しさん:2007/02/21(水) 15:41:36 0
>>30
ポコポコ

33 :ほんわか名無しさん:2007/02/22(木) 23:58:52 O
33GET

34 :ほんわか名無しさん:2007/02/24(土) 12:52:14 O
age

35 :ほんわか名無しさん:2007/02/26(月) 00:31:09 O
保守

36 :ほんわか名無しさん:2007/02/26(月) 01:55:29 0
ほす

37 :ほんわか名無しさん:2007/02/26(月) 14:18:23 O
いい話募集age

38 :ほんわか名無しさん:2007/02/28(水) 14:31:24 O


39 :ほんわか名無しさん:2007/02/28(水) 18:29:51 O
>>38
泣いた

40 :ほんわか名無しさん:2007/02/28(水) 18:43:55 O
あれは一年前の夏、自分はオーストラリアに短期留学したんだ
留学先はオーストラリアでもかなりの田舎で、もう訛りがすんごいの!何言ってるかわかんない。そんなのも手伝って引っ込み思案な自分はなかなか現地の人達とコミュニケーションとれなかった
そんな時に自分は学校がえりに降りるバス停間違えて道に迷ったんだよ
会話もロクに通じない見たこともない土地でどうしていいのか分からなくて、真っ昼間の田舎だから人も通らない
心細くて泣きながら歩いてたらどっかの家の子供3、4人がかけよってきて『どうしたの?泣かないで?』って話し掛けてくれてさ
見てくれなんかまだ小学校の低学年と幼稚園児なのにね
しゃくりあげてしゃべれなかった自分の背中をさすって、大丈夫大丈夫っていってくれて、住所書いた紙見せたらそこまで連れてってくれてさー
どんだけしっかりしてんの!こっちは当時高校二年生だっつーのに!
涙で顔ぐちゃぐちゃ、しかも炎天下で鼻血までふいてるってどんだけ情けないの!恥ずかしかったわ!
しかも、後日、手紙とお菓子をわざわざ持ってきてくれて『友達になってね?』ってどれだけ可愛いの!こっちが土下座してお願いいたしますだよ
留学中優しい君達にホントに助けられましたありがとう!元気にしてるかな?ロナーニ達?久しぶりにメールしてみようかな
君達を見習って今では街で困ってる人を見るとサッと助けることが出来るようになったよ。優しさは伝染するってホントなんだね

41 :ほんわか名無しさん:2007/02/28(水) 20:27:55 O
心細かっただろうね
うんと気持ちが温かくなった・・・
見習おうっと

42 :ほんわか名無しさん:2007/03/03(土) 17:26:16 O
>>1さんお久しぶりです。
初代スレの時に自分の話を載せた者ですが、大学に合格しました!
久々に2ちゃんをしていたらこのスレを思いだしたので書き込んでみました。

43 :ほんわか名無しさん:2007/03/03(土) 23:44:07 O
>>43
おめでとう!

44 :ほんわか名無しさん:2007/03/04(日) 00:18:08 O
おめでとうございます!

45 :1 ◆zBvvMGYmRg :2007/03/04(日) 02:24:29 O
>>42
おおお!マジでおめでとうございます!
努力が実ったんですね。尊敬します。
そして、このスレを思い出してくれたことに感謝です 笑

46 :ほんわか名無しさん:2007/03/04(日) 04:56:56 O
中学の頃、バスケ部だった。背が低かったけど、足がまあまあ速くてすばしっこかったのと何より負けず嫌いだったので、2年になった時に念願のレギュラーを貰えた。一番高い番号だったんだけどね。
でも、自分と同じくらいのレベルの子は沢山いたし、前にその番号だった子がバスケ部のリーダー(みたいな感じだった)子と仲良くて、

「なんで○○(自分)がその番号しょってんの?」
「下手くそ」

とか、そんな悪口を聞こえるように言ってくるようになった。いじめ(というほどでも無い気がするけど…)られるようになった。
だけど、そんな事で自分の力で取ったこの番号を渡したくなかったから黙って耐えた。

2年の終わり位。自分とは違う部活で親友といっていい程仲が良かった子と一緒に登校してる時に突然、

「○○(自分)なんか死ねって、バスケ部の子が言ってたよー」

って、笑いながら言われた。馬鹿にした笑いじゃなくって、本当に楽しそうに笑ってた。何も言えずに黙った自分を、面白そうに見ていた。
…裏切られたとかは無くて、ただ悲しかった。なんか全てがどうでもよくなった。→

47 :ほんわか名無しさん:2007/03/04(日) 04:57:59 O
卒業するまであまり学校に行かず、高校の後期試験に落ちて、まあ頭はそんなに悪く無かったから二次募集の通学が通学が登下校合わせて3時間かかる学校に通う事になった。
誰も知り合いが居ないし、一からやり直せるかなあと思った。


そこで一人の子とすごく仲良くなった。ある時、なんとなく中学の事を言ったら

「そ、」

とだけ言って、他には何も言わずに隣にいてくれた。それがなんだか、すごく嬉しかった。あの子とは違うんだよーって、自分の中で確認できた気がした。
それから一年くらいして、私が中学の時の話したの、覚えてる?と聞いたら
「…何か聞いたっけ?」(真面目顔で)
と、本当に忘れているみたいだった。いや、興味あるもの以外は全て忘れる君の事だ、忘れているに違いない。



今じゃ何も言わずとも通じあえる、熟年夫婦みたいな私達。ジュースをこぼされても、「あーあ…」とこぼしたジュースの心配をする貴方が大好きです。



過去は忘れられないし、変えられない。

来年は進学で、違う道を行く私達だけど。今、こうして、親友というよりは悪友の君と一緒にいられる事もきっと、一生忘れないよ。




かなりの乱文失礼しました……見てはいないだろうけど、悪友Rへ。沢山のありがとうとこれからもよろしく、を込めて。

48 :ほんわか名無しさん:2007/03/04(日) 12:16:40 0
泣けた………
良い友達に巡り会えて良かったね。

49 :1 ◆zBvvMGYmRg :2007/03/04(日) 14:51:34 O
>>47-48
いい友達ですなあ…
何も言わないでも通じ合える関係って憧れます。
過去に辛い経験があったからこそ、その親友との出会いがあったんですね。

50 :ほんわか名無しさん:2007/03/04(日) 20:49:30 0
すこし長くなりますが、父の話をします。
うちは5人家族に犬が2匹、父は小さな会社の平社員で、決して裕福な家庭ではありませんでした。
無口でシャイな父は、普段から家族ともあまり話さず、友人も少ないようでした。
私はそんな父が大好きでしたし、時々休みの日に何も言わず遊びに連れ出してくれるのが、とても嬉しかったです。
母、姉、妹は明るくてお喋りでしたが、私だけは父に似たのか小さい頃から物静かで、
父とは言葉を交わさなくても、一緒にいるととても幸せでした。
今まで母には数え切れないくらい叱られ、叩かれたことも星の数ほどあります。
でも父に叱られた記憶はありません。もちろん叩かれたことも。
母に叱られて泣いている私を、やんわりと庇ってくれる優しい父でした。

そんな父が、突然入院しました。私が高校2年生の夏でした。
身体が大きくて丈夫だった父ですから、私も最初は軽い気持ちで、すぐ退院できるものだと考えていました。
でも、日を追うごとに父は痩せ細り、お見舞いに行く度に酸素マスクやら呼吸器やらが増えていきました。
それでも父は私がお見舞いに行くと嬉しそうで、特に言葉も交わさず、
病室に備え付けられたテレビを長いこと一緒に観たりしていました。
しかし、入院してから1ヶ月近く経ち、父は自分で呼吸ができなくなりました。
体内に機械を入れて呼吸しなければならない、
でもそうすると物も食べれないし言葉も話せなくなると、先生に言われました。
父は「治ればまたもとに戻るんだから」と言って、機械を入れる直前も、
特にたくさん物を食べたり話したりすることもありませんでした。

それから1週間も経たずに、父は眠るように亡くなりました。入院から1ヶ月とすこしでした。
私はすぐに現実を受け入れることができなくて、涙が出てきませんでした。
まだあのベッドに父が横になっているような気がして。
また父が家に帰ってきて、靴箱の上に自転車の鍵を置く音がするような気がして。

51 :ほんわか名無しさん:2007/03/04(日) 20:50:52 0
お通夜の日に、父の友人の奥さんが私に話をしてくださいました。
無口な父が、友人に私の話をしていたそうです。
「あの子は教えてもないのに、昔から絵がすごく上手なんだ」と、私の自慢をしていたそうです。
それを聞いて、私は涙が止まりませんでした。
私は小さい頃から絵が好きで、よく絵を描いていたのですが、
父が面と向かってそれを褒めてくれたことなんてなかったからです。
ああ、お父さんは何も言わないけど私のことをちゃんと見ててくれたんだ。
そう思うと嬉しくて、それにありがとうと言えないのが悲しくて、涙が溢れて止まりませんでした。
それから数日後、父の遺品を整理しているとき、私が幼稚園くらいの頃に描いた下手くそな絵が
大事にしまわれているのを見つけて、また泣きました。

あれから2年半が経ちました。
私は今、芸術系の大学で、絵の勉強をしています。
奨学金を受けながら、ギリギリの生活だけど、毎日頑張っています。
あのとき、父の話を聞いて、真っ直ぐ夢に向かって進む決心がつきました。
お父さん、私、お父さんのおかげで、今、とっても毎日が充実しているよ。
何も言わなくていいから、天国から見守っていてね。ずっと大好きだよ。

52 :ほんわか名無しさん:2007/03/04(日) 22:50:11 O
>>51
泣けた(;ω;)何だか私ととても似ている気がします。私も絵が好きで、昔父に見せて褒めてもらった思い出があります。でも父は4年前に亡くなりました。今でも実感がわきません。
あなたのお父さんはきっと優しくあなたを見守ってくれてると思います。私の父も見守ってくれてるかな………。

53 :ほんわか名無しさん:2007/03/05(月) 21:33:13 O


54 :ほんわか名無しさん:2007/03/06(火) 01:44:02 0
俺は今日久しぶりに泣いたよ。
去年、高校を辞めて、春からは「船長になる」という夢をかなえるための学校に行く俺。
今日はアルバイトだった。国際展示場のイベントの荷物を運ぶクロネコヤマトのバイト。
仕事は、重いものもあったけど、タバコも吸えたし、仲良くなった人がいたからまあよかった。
四時に仕事が終わり、帰路につく。国際展示場から新木場までの無料バスが出ていると聞き乗り場へ向かった。
いつまでたってもバスがこないので、タクシーの運ちゃんに聞くと「イベントがある日しか出てないよ」
俺は金が無かったので、臨海線の駅まで歩いた。そしていざ切符を買おうとしたら金が無かった。
恥ずかしい話だが、そのときの俺は190円すら無かった。
俺は困り果てて、駅員に「すみませんが、お金を忘れてしまったので貸していただけませんか?」と聞くも拒否された。
この時点で半泣きだったが、道行く人々に声をかけるも「知りません!」とか「ごめんなさい!」って逃げられた。
そりゃそうだよな、色めがねかけていてゴツイやつが話しかけたら引くわな。
当方に暮れて、駅の壁に座り込んでうつむいていたら、ホームレスのおじさんが話しかけてきた。
「そこのゴツイ兄ちゃん、どうした?」って。そのおじさんに事情を話したら、なにも言わずに俺の手に300円握らせてきた。
「必ず返しますから!」って名前を聞いたが、「そんな立派な人間じゃねえよw」って言いながら言ってしまった。
駅員も誰も助けてくれない、このとき俺は「冷たいなあ」って思ったが、人の優しさに触れてその場で涙が出てきた。
新木場に着いたら俺の自転車は無くなっていた。たぶん撤去されたんだ。
たまにはいいかなと思いながら、南砂の家まで歩いた。
歩いているあいだ、暖かい気持ちで、涙が止まらなかった。
おじさん、本当にありがとう。


55 :ほんわか名無しさん:2007/03/06(火) 02:27:26 O
>>54
明日 返しに池。

借りた金は 返すんだぞ。

56 :ほんわか名無しさん:2007/03/07(水) 11:49:10 O
agare

57 :ダメ娘:2007/03/07(水) 12:54:34 0
おかん、あんたは凄いわ。
母子家庭で毎日働いて、でも、毎日ウチのご飯作ってくれてて。
ウチが17の時、馬鹿して捕まって鑑別所入ってってした時も、気丈に振る舞ってたな。
後から周りに聞いたけど、陰で泣いてたらしいやん。
そんで面会の時ジュース2本買ってきてくれて、しかもちゃっかりウチの好きなジュース。
覚えててくれたんが嬉しくて、部屋戻ってから泣きまくったわ。

そんなこんなで馬鹿ばっかりして、散々困らせたウチやけど、今年結婚します。
今は病気で辛いかもしれんけど、おかんにはウチがおるから、もう無理せんでいいよ。

これからはウチがおかんの面倒見るから、安心しててな。

58 :ほんわか名無しさん:2007/03/07(水) 13:50:43 O
私の父と母は、昔から仲が悪かった。

喧嘩する仲というよりも、冷え切っていた。それは、小学生だった頃の私にもわかる程だった

気付いたら父が別居していたりと、どちらかというと母と一緒にいた記憶のほうが多い。

強くて美しい母は、私には冷たかった。理由は未だにわからない。

母が夜に遊びに出掛けるのを、私が泣いて嫌がると、重いソファーに潰して出掛けたり

学校帰りが少しでも遅くなると、遠くから走って家に入ろうとする私を、母は玄関から冷たい目で睨み、玄関の鍵を締めたり

とにかく、嫌われていた

そして私は、どんどん壁を作った

傷つかないように

大好きなママに、これ以上嫌われないように

続きます

59 :ほんわか名無しさん:2007/03/07(水) 14:00:52 O
私が中学生になった時には、既に完全に別居となっていて、父と会う事はほぼなくなっていた。

兄はグレてしまい、高校を中退し家を出ていってしまった

冷え切った関係のまま、母と私の二人暮しで数年過ごした

中学三年の半ばのある日

ママは、夜遊びをせず家にいた

嫌な予感がした

ご飯を食べ終わった後、ママは言った

『ママ、離婚して東京に行くから』

美人で、気丈なママが、私の膝の上で泣いた

初めて泣いた

壁が出来上がっていた私には

無表情で『そう』『うん』としか言えなかった

でも、そんなママの姿を見て私の涙は止まらなかった。ママは私を嫌っているのに

なぜ泣く?

続きます

60 :ほんわか名無しさん:2007/03/07(水) 14:13:02 O
私が高校に上がったら出ていく、とママは宣言した。

ママとの二人暮しも、高校に上がったら終わり。それからのママは、壁はあるものの優しかった。

高校の入学式の朝

ママは数年ぶりに『おはよう』と言ってくれた。気恥ずかしいせいか、笑顔ではなかった。でもママなりに頑張ったんだと思う

部屋の中の片隅には、ママの荷物がまとまっていた。洗濯や掃除も、すべて片付いていた。

『○○が家に帰ってきたら、ママいないからね』と念を押した

泣かない。絶対に泣かない

そして、私は玄関を出た。薄いカーテン越しに、私を見ているのがわかった。どんな気持ちで見ているのかはわからなかった。


入学式が終わると、走って家に帰った

もちろんママは、いなかった

大好きなママ、ひとりぼっちの家、ひとりぼっちの高校生活

手料理の味

涙が、止まらなかった

61 :若チャン ◆mkWK7X3DHc :2007/03/08(木) 17:01:57 O
すごく切ない話ですね…なんとも言えません…。

62 :ほんわか名無しさん:2007/03/08(木) 21:47:14 O
まとめサイト作らん?

63 :ほんわか名無しさん:2007/03/11(日) 01:55:34 O
すでにあるよ

64 :ほんわか名無しさん:2007/03/11(日) 05:38:44 0
ママン。。。。


65 :ほんわか名無しさん:2007/03/14(水) 16:54:07 0
ほしゅage

66 :ほんわか名無しさん:2007/03/14(水) 17:51:19 O
いい話がききたい

67 :ほんわか名無しさん:2007/03/15(木) 15:26:02 0
子供の頃、父が飲んだくれだった我が家は極度の貧乏だった
しかし明るい母は4人の子供とアル中の父を抱え朝は築地の魚市場、
昼は貝類加工場、夜は寿司屋の店員と3つの仕事をこなしていて
寝てる間に帰って来る、目が覚めるともういないの繰り返しで
1週間のうち、貝類加工場が休みの土曜日の昼間だけしか顔を見る事が
出来ない毎日だった。そんなある土曜日、母がまだ就学前だった私を
野草摘みに連れて行ってくれた。普段、母と過ごす時間が無い私には
春の野原で母と2人、つくしやフキを積んだ事が本当に楽しく嬉しかった。

それから数十年が経ち飲んだくれだった父は他界し子供達も大きくなった。
今では昔の苦労が嘘のような楽隠居生活を送る母に、ふっと野草積みの事を
思い出し「あ〜ちゃん(母の事)と野草積みに行ったよね!普段は顔も
満足に見られなかったから、あの時は本当に楽しかった!」と何気なく
言った私に「あの頃は貧乏だったからね…。あんな野っ原に生えてる
草まで食べさせて…すまなかったね。」と母が泣いた。

子供だった私には、ただの楽しい野遊びだったけど母に取っては
子供達を飢えさせない為の苦肉の策だったんだね。ありがとう。
それ以来、毎年この季節になると、あの楽しかった野草積みを
思い出しては、ちょっと胸がつまる…あ〜ちゃん長生きしてね!

68 :ほんわか名無しさん:2007/03/15(木) 15:31:53 O
>>67
泣ける(´;ω;`)
あーちゃんの偉大さ 感じたし、きっとアナタも もっとあーちゃんとの時間が、幸せだったのね。

69 :ほんわか名無しさん:2007/03/15(木) 16:25:01 0
>>67
母視点で読んでみると、>>67の「楽しかったね!」が不憫で
二度泣ける・・・。

70 :ほんわか名無しさん:2007/03/16(金) 17:39:36 O


71 :ほんわか名無しさん:2007/03/17(土) 22:59:13 O
泣ける話やなあ

72 :ほんわか名無しさん:2007/03/19(月) 13:44:33 O
ある夏のツーリング。
初めてのロング。初めての北海道。出逢いと発見の連続だった。
その旅路も終わりに近づいたころ、直江津郷津で一人の老人に出逢った。
その日の朝は快晴だった。
数日続いた雨で荷物が濡れていたこと、またキャンプ場が海水浴場を兼ねていたこともあって
俺は荷物とともに日光浴をしていた。まるで干物になったような気分だ。
「もう何日目?」
ふいに声がする。目を開け、強い日差しのせいで青色がかった視界に入ってきたのは、

白髪でサングラスのご老人と車。話を聞けば、先々で出逢った人に聞いたおすすめの所や名所をたどる、
予定のない旅をしているそうだ。
「私はね、病気で胃もほとんど取ってしまったし、もう長くはないんだ。だからね、
向こうへの土産のつもりでね、この旅してるんだよ。」
昔の人は言っていた。旅は日常から非日常へのシフトだ、と。そして旅の終わりは、非日常から日常へと還ってゆくことだと。
またある人は教えてくれた。

73 :ほんわか名無しさん:2007/03/19(月) 13:46:14 O
旅を表す英語は色々あるんだが、特に journey は、長い旅、終わらない旅、人生の縮図という意味もあるのさ、と。
この人はその縮図の果てに、何を見たいんだろうか。
「君は北海道から帰ってきたのか! そうか、北海道も行ってみようかな。」
変わったところがいいと言うので、礼文島の桃岩荘ユースを勧めてみた。
そうだ、10月に東京でそのユースの大会が行われるそうなんで、よかったらそこで会いませんか?と日時を勧めてみる。
「じゃ私がそのユース行けばわかるから、その件は私の宿題にしましょう。その方が楽しみがあるでしょう。」
と返された。一本とられた。
「じゃ、また会いましょう。」
と言って、ご老人は行ってしまった。
俺はご老人が勧めてくれた「おわら祭風の盆」を見に、富山へ向かった。

夏は終わり、10月のユースの大会を前に、この人に手紙を出した。
東京での再会を楽しみにしています、と。

ご老人は大会に来なかった。
再度手紙を出しても、返事はなかった。
ご老人がどうなったか、わからない。

この人は人生の果ての間際に、旅という人生の縮図の中で、
何を求め、何を想ったんだろうか。
南会津の中嶋さん。
俺はその答えを聞きたかった

74 :ほんわか名無しさん:2007/03/19(月) 23:41:20 0
旅っていいよね。

75 :ほんわか名無しさん:2007/03/21(水) 11:20:39 O
うん

76 :ほんわか名無しさん:2007/03/21(水) 11:25:39 0
どう?
> ttp://sky.geocities.jp/ekikuroscience/

77 :ほんわか名無しさん:2007/03/22(木) 12:12:13 O
さあ

78 :ほんわか名無しさん:2007/03/24(土) 14:18:11 O
なに

79 :ほんわか名無しさん:2007/03/26(月) 23:06:15 O
79get

80 :ほんわか名無しさん:2007/03/28(水) 01:35:21 O
最近伸びないな

81 :ほんわか名無しさん:2007/03/29(木) 17:40:43 0
(´;ω;`)

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